1906年(明治39年)には第一次桂太郎内閣直属の馬匹改良を目的とした馬政局が設立、農商務・外務・大蔵・逓信大臣を歴任した曽根荒助男爵が馬政局長官に任命され、軍馬改良を柱とする馬政30年計画が上奏された。
馬政局は奨励する種馬の種類として、軽種にサラブレッド、中間種にハクニー、重種にペルシュロンを指定し、これを補うものとしてギドラン、アングロアラブとアングロノルマンを選定した。
これを受けて国営の奥羽種畜牧場では1906年(明治39年)に濠州産馬128頭を輸入、翌年にはインフォーメーションなどの種牡馬を導入した。
宮内省管轄の下総御料牧場は(1907年(明治40年)にブラマンテー、サッパーダンスなどサラブレッド種牡馬4頭を英国より輸入すると共に、雑種の繋養馬を売却処分した。
民間では三菱財閥の小岩井農場が1907年(明治40年)、種牡馬インタグリオーと種牝馬20頭を英国より輸入し、本格的なサラブレッド生産に着手した。
このとき小岩井農場に輸入された種牝馬のうち、ビューチフルドリーマー、フロリースカップ、アストニシメント、プロポンチスなどの子は特に優秀で、これらの小岩井農場の基礎輸入牝馬の子孫は現在にまで連なる繁栄を示している。
競走馬生産の歴史の続き
8月 9th, 2011
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